民事執行法の改正、強制執行・賃貸借契約に関する近時の注目判例
第2.強制執行、賃貸借契約に関する近時の注目判例
1.広島高等裁判所令和2年1月21日判決(刑事事件)
(概要)
債権者甲に対する7000万円の損害賠償の支払を命ずる仮執行宣言付きの判決を言い渡された被告人が,被告人名義の二つの預金口座から、それぞれ@1500万円、A2回に渡り合計1510万円の払い戻しを受けたことが、強制執行妨害目的財産損壊等(刑法96条の2第1号)に当たるとして起訴された。
第一審で有罪となったものの、弁護人は控訴し、払戻金の使途等に鑑みると払戻しは刑法96条の2が定める「強制執行を妨害する目的で,強制執行を受けるべき財産を隠匿する行為」には該当しない、と主張した。
(事案)
被告人は、上記@の1500万円の払い戻しを受けた他、
A銀行X支店に開設された被告人名義の預金口座に,被告人の勤務先(B社)の退職金である3174万5269円が送金されたところ,同日,A銀行Y支店において,同預金口座から合計1890万円を払い戻した。うち380万円をB社に送金し,その残額1510万円のうち1300万円を貸金庫に入れ,210万円を自宅に持ち帰った。
上記Aはこの1510万円の払戻し。
なお、被告人は、,同払戻しとは別途,同預金口座の金員から合計1276万1885円を,借入金の返済としてB社に送金した。
(弁護人の主張@)
上記@の1500万円の払い戻しは、強制競売の対象となった被告人の自宅(土地・建物)を妻が落札するための資金とし,結果的に強制競売を申し立てた甲に配当金が支払われているから犯罪は成立しない。
↓
(@に対する裁判所の判断)
払戻しはw 被告の供述からして「弁護士に支払う報酬等の裁判費用が払えなくなる上,生活も困ることになり,現金で保管しておく方が差押えを受けることなく安全であるなどと考え」たことによるものである。その目的が「強制執行を妨害する」ことにあったことは明らかである。
仮に弁護人主張の目的が払戻し時点であったとしても,それは,甲が被告人所有の不動産につき申し立てた強制競売において妻名義での落札資金を確保するため,預金の差押えを回避することを意図したことにほかならず,その目的に正当性はなく,強制執行を妨害する目的に該当する。
(弁護人の主張A)
上記Aの1510万円のうち,1000万円を甲に対する損害賠償の支払いに充てており,その余の額も,前記弁護士費用や被告人及び家族の生活のためのものであるから,犯罪は成立しない。
↓
(Aに対する裁判所の判断)
払い戻しは被告人の供述からして「老後の生活費も確保しておきたいから,……現金で保管しておく方が差押えを受けることなく安全であるなどと考えた」ことによるものである。
甲に対し1000万円を支払っている事実は認められるが,それは,払戻しから1年1か月あまり後のことであり,事後的な事情から支払いをしたものであって,それにより,遡って払戻しの目的が正当化されることにはならない。
生活費の確保という点も,結局は,差押えを回避して自己及び家族のために使える金を確保しておきたいというにすぎず,そのような意図が強制執行妨害の目的に当たることはいうまでもない。
民事訴訟の弁護士費用支払いのための資金確保という点も,払戻しの時点で支払額が確定し,期限が到来していたといった事情はうかがわれず,被告人の公判供述によれば,最終的な勝訴を想定して主観的に1000万円程度ではないかと見込んだという程度のものであって,前記払戻しに近接して弁護士に対し支払われた形跡もないのであるから,被告人の前記供述によっても,強制執行妨害の目的の認定は左右されない。
(弁護人の主張B)
被告人が1890万円を払い戻した際に,B社に送金した380万円について検察官が犯罪の対象から除外して訴因を構成しているのだから、その余の1510万円も,380万円と同様に使途として正当なもので,全体について犯罪不成立とすべきである。
↓
(Bに対する裁判所の判断)
380万円は,B社に支払う相応の根拠があり,実際に払戻し後直ちに送金されているから、この支払いは,「隠匿」又は「強制執行妨害の目的」には当たらない可能性があるとみて検察官は払戻額から差し引いたものと考えられる。
1510万円については,要するに,差押えを回避して自己資金として確保しておきたいという趣旨で払い戻したものであるから,380万円とは,その目的において異なる。
(弁護人の主張C)
預金口座に振り込まれた退職金の払戻しをすることが犯罪に当たるとすることは生存権を侵害するものである。
↓
(Cに対する裁判所の判断)
確かに,退職金が,勤務先に対する退職金債権にとどまる限りでは,法定の差押禁止の規定が適用されるのに,それが差押え前に被告人名義の預金口座に振り込まれ,預金債権に転化した場合には,同規定が適用されないことになる。
しかし,強制執行において,執行裁判所は,申立てにより,債務者及び債権者の生活の状況その他の事情を考慮して,差押命令の全部もしくは一部を取り消すこと等ができるとされている。
本件のような場合において,債務者(被告人)の生活の保障と債権者の権利実現との調整は,申立てを受けた執行裁判所の差押禁止債権の範囲変更に関する判断によってされるべきものと解される。
弁護人の主張は、このような法定の手段によらない生活資金の確保を許容せよというものに等しく,採用できない。
(結論)
控訴棄却
2.東京地方裁判所令和元年12月 5日判決(控訴事件)
(概要)
Xが,建物賃貸借契約の賃借人の保証を,Yを通じて保証会社に申し込んだら、Yの従業員Dが,Xから受領した保証委託申込書の内容を無断で書き換えて保証会社に送付したため、保証会社は保証委託を承認せず、Xは賃料保証を受けられなくなった。Xは、Yに対し、使用者責任に基づき、社会的信用を害されたことを理由に60万円の損害賠償を求めた。
原審(簡易裁判所)は,Xの請求を全部認容し、Yは控訴した。
(事案)
Xは株式会社で、BはXの代表者。Yは,不動産売買,仲介並びに賃貸等を目的とする株式会社。
Bは,Cとの間で,平成25年3月28日,建物賃貸借契約(契約期間3年、賃料 月21万円)を締結し、平成28年4月1日に更新された。Yは,本件賃貸借契約及び更新を媒介した。
Bは,Yに対し,X会社を設立したことに伴い,本件建物の賃借人をBからXに変更することを依頼した。するとYから,法人を賃借人とした場合における取扱いとして,保証会社による賃料保証を受けるよう求められた。
Xは,Yから保証委託の申込書(本件申込書)を受領し,平成28年12月30日,これに署名してYに送付した。Yの従業員Dは,本件申込書の備考欄に「賃料支払に問題ありません」と記載し保証会社に送付した。
保証会社は,賃料保証を一旦承認しYに通知した。しかし,Dは,その結果をYに伝えなかった。
その後Bは,Dに保証会社の審査結果を問い合わせ、Dは、Bに対し,不承認であったと伝えた。
すると,Bは,Dに不承認である旨通知する書面を求めた。
Dは,Yのシステムから審査に係るデータが削除されていることを理由にこれを断ったところ,Bは,保証会社に対し,通知書の再発行について問い合わせ,Yからの依頼があれば対応する場合があるとの回答を得た。そこでXは,Dに対し、上記回答を伝えて不承認の結果通知書を再度求めた。
Dは,保証会社の担当者に連絡し,Yとして契約をしない方向で考えており,審査は不承認であったと伝えているので,保証会社からも不承認の通知を出して欲しいと要望した。しかし、保証会社は,審査結果を変更することはできないと回答した。
その際、保証会社の担当者は,Dに対し,本件申込書に係る保証の承認がされてからだいぶ時間が経過していることから,現時点で承認が認められるものではなく,改めて申込みを受けて審査する必要があると伝えた。
Dは,Bに対し,改たな申込書に署名するよう求めたものの、Xは,審査結果通知を強く求め,新規申込書は作成しなかった。
そこで,Dは,本件申込書の備考欄の「賃料支払に問題ありません」との記載を消除し,「賃料の滞納 有」との加筆した上,平成29年10月27日,それを保証会社に送付した。Dが本件書換え行為をするについて,Yの同意は得ていない。
保証会社は,それを受領して保証を承認しないこととし,Yを通じXに通知した。
Bは,保証会社から、審査資料の提供を求め、各申込書の送付を受けて記載に相違があることを知った。
なお,貸借契約に関し,Bは,平成28年5月3日,同月8月21日と賃料を滞納し、平成29年においてもしばしば賃料を滞納していた。しかし、2回目の申込書でDが不承認とした平成29年10月27日時点では,賃料の滞納はなかった。
DはXに無断で「賃料支払に問題ありません」との記載を消除して「賃料の滞納 有」との記載を追加して保証会社に送付したから、その書換え行為は違法である。
Dは,Bによる本件建物の賃料滞納が頻発していたことから,本件申込書備考欄を訂正して保証会社に送付した。真実に合致した内容の書面を送付したにすぎない。Yは,保証契約の締結に当たって,保証会社に対し,賃借人の情報について真実を告知する義務があるから,本件書換え行為に違法性はない。
保証会社から賃料保証を承認しない旨の通知を受けたことにより社会的信用を失った。その損害は60万円を下らない。
2回目の申込書は,事実関係に誤りがなく,不承認という結果によって,Xの社会的信用が低下したとはいえない。
最初の申込書に対する審査結果が承認であるとしても,Xは,保証委託契約時に不実告知をすることができないところ、賃料の滞納歴があることを告知した場合に保証委託契約が成立しなかったことが明らかだから,Xに損害は発生していない。
(裁判所の判断)
裁判所は,原審を破棄し、5万円の支払を求める限度でXの請求に理由があり,その余は,理由がないとした。
↓
Dの書換え行為は,DがXから求められていた最初の申込書に係る審査の結果について虚偽の事実を述べたことを取り繕うために行ったもので、その態様も,本件申込書@の内容を積極的に書き換えて,明らかに承認が得られないように細工するという悪質なものだから,Yに対する関係で違法な行為であり,不法行為を構成するというべきである。
確かに,最初と2回目の申込書を送付する各当時,Bには賃料の滞納があり、最初の申込書を保証会社に送付した当時でも,Dが保証会社に対し,賃料滞納の事実を正しく告知すれば,保証会社による承認は得られなかったものということができる。
しかし,本件書換え行為は,飽くまで,DがXから,最初の申込書に対する審査の結果を記した書面を求められる中で,不承認という虚偽の事実を述べたことを取り繕うために行われたものだから,交付を強く求めていたXとの関係で違法となるというべきである。
したがって、Yは,Dの使用者として不法行為責任を負う。
Bに本件建物賃料の滞納があり,2回目の申込書は真実を記したものであるから,本件書換え行為によって,Xの社会的信用が毀損されたとは認め難い。
もっとも,Xは,最初の申込書に対する保証会社の審査の結果について,Yから書面により正しい内容の報告を受けることができなかったという無形の不利益を被っており,一切の事情を考慮すると,Xの被った損害は,5万円と認めるのが相当である。
3. 東京地方裁判所令和元年12月16日判決
(概要)
原告(賃貸人)は、被告(賃借人)に対し、転貸、暴力団等の反社会的勢力関係者、禁固以上の刑に処せられたことを理由に、賃貸借契約を解除し明け渡し等を求めた。しかし、裁判所は、原告の主張を認めず、原告の請求を棄却した。
(事案)
原告(賃貸人)は、被告Y1との間で締結していた賃貸借契約を解除し,被告Y1(賃借人)、被告Y1から本件建物を転借していた被告株式会社Y2(被告会社・転借人)に,本件建物明渡し、明渡済みまでの賃料相当損害金の支払を求めた。
本件賃貸借契約は、昭和58年2月21日に締結され、被告Y1は,当時右翼団体に所属しており、その後,暴力団であるa会に所属するようになり,その二次団体であるb一家の幹部として,同一家を構成するc組の組長を務めていた。
本件賃貸借契約は,その後3年ごとに順次更新され,平成16年2月には,新たに賃貸借契約書が作成された。
被告Y1は,平成18年10月3日,本件建物について,被告会社との間で賃貸借契約(本件転貸借契約)を締結した。被告会社は,同年12月頃から,現在に至るまで,本件建物においてピザ屋(本件店舗)を経営し、本件転貸借契約は,以後およそ2年ごとに平成28年10月頃まで更新が繰り返された。
被告Y1は,平成24年12月7日,東京地方裁判所に電子計算機使用詐欺罪により懲役3年,執行猶予5年の有罪判決を受けた。賃貸人と被告Y1は,平成25年2月19日及び平成28年2月22日に,本件賃貸借契約を順次更新した。
- 転貸禁止条項 : 賃借人は,賃貸人の書面による事前の承諾を得ることなく,本件建物の全部又は一部につき賃借権の譲渡,転貸もしくは使用貸借をなし,あるいは本件建物を第三者に使用させ,もしくは賃借人以外の名義を表示してはならない(8条2項)。
- 契約解除条項 : 賃借人に次のいずれかに該当する事由が生じたときは,賃貸人は何らの通知・催告を要することなく直ちに本件賃貸借契約を解除することができる(12条)。
@ 賃借人又は賃借人が法人の場合の役員が禁錮以上の刑に処せられたとき(同条1項6号)
A 賃借人又は賃借人が法人の場合の役員が反社会的集団(暴力団,暴走族,過激な政治的・社会的・宗教的活動集団等)の構成員又はこれに準ずる者であると判明したとき(同条1項7号)
B 賃借人につき8条に該当する事由並びに本件賃貸借契約に違反する事由があるとき(同条1項9号)
賃貸人は,平成29年3月28日付けで,被告Y1に対し,無断転貸及び被告Y1が反社会的集団に所属することを理由に,本件賃貸借契約を解除する意思表示をした。
なお、原告は,平成29年4月10日,本件建物の所有権を売買により取得した現在の賃貸人である。
(当事者の主張)
(原告の主張@ 無断転貸)
被告Y1は,賃貸人の書面による事前の同意を得ることなく,本件建物の全部を被告会社に転貸した。仮に賃貸人が、被告会社において本件建物を転借してピザ屋を営んでいることは認識していて本件転貸借契約を黙示に承諾していたとしても,当該承諾が書面によってされていない以上,有効な承諾とはいえない。
(原告の主張A 反社会的勢力)
本件原賃貸借契約の締結後,被告Y1が暴力団a会の構成員であったことが判明した。
仮に,被告Y1が現時点ではa会を破門されていたとしても,a会の二次団体であるc組の組長という要職にあった者であり,本件解除の時点において,なお「反社会的集団の構成員又はこれに準ずる者」に該当するというべきである。
(原告の主張B 禁固以上の刑)
Y1が懲役3年,執行猶予5年の刑に処せられた。それが本件賃貸借契約の更新前のことであるとしても,更新後にこのことが判明した以上,解除が許されない理由はない。
当時被告Y1が逮捕・起訴された事実が報道されていたとしても,当時の賃貸人が報道に接したとは限らないし,当該報道によっては,被告Y1が禁錮以上の刑に処せられたかどうかは分からない。
(被告らの主張@ 無断転貸)
賃貸人は、被告会社がピザ屋を開店する際もこれを承諾し,協力してきたから、本件転貸借に貸人の承諾がある。
(被告らの主張A 反社会的勢力)
被告Y1は,本件賃貸借契約が締結された昭和58年2月当時,右翼団体に所属しており,その後,暴力団員となったが,賃貸人はこれらの事情をすべて承知していた。
その後も,賃貸人は、被告Y1が暴力団員であることを認識しながら本件賃貸借契約を更新し,被告Y1は賃貸人らとの間で良好な関係を築いてきた。
その後,被告Y1は,電子計算機使用詐欺罪の罪で有罪判決を受けたことを契機として,暴力団から足を洗うことを決意し,所属していた組から破門処分を受け,組事務所も閉鎖し,健康上の理由もあってその後は一切暴力団としての活動を行っていない。
したがって,被告Y1は,賃貸借契約が更新された平成28年2月時点においては反社会的集団に所属していなかった。
(被告らの主張B 禁錮以上の刑)
被告Y1が平成24年12月7日に禁錮以上の刑に処せられたことは,その時点における賃貸借契約の解除事由とはなっても,平成28年2月に更新された本件賃貸借契約の解除事由とはならない。
(裁判所の判断)
(無断転貸)
被告会社は,本件建物を賃借する際,(当時の)賃貸人に対しピザ屋を営業するための窯を設置することの承諾を求め,賃貸人がこれを承諾したことから本件建物を賃借するに至ったこと,賃貸人は,本件建物を被告会社がピザ屋として使用していることを認識しながら,本件建物を原告(現在の賃貸人)に譲渡するまで何らの異議も申し立てなかったことなどからすると、(当時の)賃貸人は、被告会社が本件建物を使用収益することについて承諾を与えていたことが明らかである。
原告は,承諾は書面によるものではないから,本件原賃貸借契約の8条2項により有効な承諾とはいえない旨主張する。
しかし,上記経緯に照らせば,本件転貸借契約については事前の書面による承諾を不要とする旨の黙示の合意が成立していたと解されるし,少なくとも,本件転貸借契約に基づく本件建物の使用収益について,賃貸人との間の信頼関係を破壊しない特段の事情が存在する。
無断転貸を理由に本件賃貸借契約を解除することは許されない。
(反社会的勢力)
被告Y1は,少なくとも平成24年6月頃までは,指定暴力団であるa会の二次団体であるb一家の幹部であり,同一家を構成するc組の組長であった。
もっとも,被告Y1は,懲役3年,執行猶予5年の有罪判決を受けた刑事裁判の公判において,暴力団から脱退して真面目に生活する旨述べ,この点も考慮されて上記執行猶予の判決がされたこと,被告Y1は,平成24,5年頃,組事務所を閉鎖し,平成28年1月以降は肝細胞がんをわずらって病気療養中であることが認められ,被告Y1がa会から破門処分を受けたことに沿う証拠も存在することも考慮すると,被告Y1は,少なくとも本件解除の時点では暴力団員としての活動を行っていなかった。
本件賃貸借契約12条1項7号の文言に照らせば,同号に基づく解除が認められるためには,解除の時点で被告Y1が暴力団その他の反社会的集団の構成員であることを要すると解されるから,本件では,同号に該当する事実の立証があったとはいえないというべきである。
したがって,原告は,被告Y1が反社会的集団の構成員であることを理由に本件賃貸借契約を解除することはできない。
(禁錮以上)
被告Y1は,平成24年12月7日,懲役3年,執行猶予5年の有罪判決を受けた。
もっとも,賃貸人による本件解除の意思表示では、解除事由として、賃貸借契約12条1項7号(反社会的集団の構成員であること)及び9号(無断転貸)が明示され,6号(禁錮以上の刑に処せられたこと)は挙げられていない。
したがって、本件解除の効力を判断するに当たり,被告Y1が禁錮以上の刑に処せられたことを解除事由として考慮することはできない。
しかし、原告は、禁錮以上の刑を理由とする解除の意思表示を、本裁判における平成30年4月19日の第6回弁論準備手続期日において行ったから、その効力について検討すると、
本件原賃貸借契約12条1項が,「賃借人に次のいずれかに該当する事由が生じたとき」に本件賃貸借契約を解除することができる旨を定め,同項6号が「賃借人又は賃借人が法人の場合の役員が禁錮以上の刑に処せられたとき」と定めていることに照らせば,同号に該当するというためには,賃借人が過去に禁錮以上の刑に処せられたことがあることが判明したというだけでは足りず,当該賃貸借契約の締結後に禁錮以上の刑に処せられたことを要すると解すべきである。
そして,本件賃貸借契約のように賃貸借契約の更新が繰り返されている場合に,賃借人が禁錮以上の刑に処せられたことが,賃貸借契約の更新後に判明した場合に解除事由となるかどうかは,禁錮以上の刑に処する旨の判決から更新までの期間,更新から上記判明までの期間,当該刑の内容等に照らし,実質的に当該賃貸借契約における信頼関係を破壊するに足りるものであるかどうかにより決するのが相当である。
この見地から見ると,本件賃貸借契約においては,平成24年12月7日に被告Y1が執行猶予付懲役刑に処せられた後,平成25年2月19日及び平成28年2月22日の2回にわたり賃貸借契約が更新され,最後の更新から約2年2か月が経過した後に本件再解除が行われたものであること,被告Y1が受けた刑は執行猶予付きの懲役刑であるところ,本件再解除の時点で猶予期間は経過し,既に刑の言渡しの効力は消滅していること,本件建物は被告会社に転貸されており,被告Y1自身が利用しているものではなく,現在まで賃貸人と被告Y1又は被告会社との間で具体的なトラブルが生じた形跡が一切ないこと、
これらの事情によれば,被告Y1が刑に処せられたことが判明したことによって賃貸人と賃借人との間の信頼関係が破壊されるとは考え難く,これを理由に本件賃貸借契約を解除することは許されないと解すべきである。
したがって,原告は,被告Y1が禁錮以上の刑に処せられたことを理由に本件賃貸借契約を解除することはできない。
(結論)
原告の請求棄却。
4.東京地方裁判所判決 平成28年8月19日判決
(概要)
原告は本件マンション(東京都世田谷区所在)の賃貸人、被告Y1は本件マンション201号室の元賃借人で、被告Y2はY1の連帯保証人。
Y1が入居中に発生させた火災等につき,原告が,Y1、告Y2に対し、原状回復費用143万円、及び今後賃料を減額せざるを得ないこと等による逸失利益82万6000円の合計225万6000円を求めた。
(事案)
(201号室賃貸借契約)
賃料は月額6万8000円、敷金6万8000円、期間2年、Y1は火災等保険に加入する。更新料6万8000円、未払原状回復費用の敷金からの控除。Y1は,201号室を善良なる管理者の注意をもって使用する義務を負う。Y1は,故意又は過失により,201号室に破損,汚損,故障その他の損害(通常の使用に伴い生じた損耗を除く)を生じさせたときは,賃貸人の承諾のもとに,Y1の費用負担で,201号室を原状回復しなければならない(以上、賃貸借契約内容)。
本件賃貸借契約は平成25年10月31日に期間満了となったが,Y1は更新契約を締結せず,かつ,火災保険にも加入しなかった。本件賃貸借契約は法定更新された。
Y1は,平成27年2月4日午後7時ころ,201号室において,タバコの不始末による火災を発生させた。
Y1は,本件火災によって201号室を使用できなくなったため,同月28日をもって退去し,本件賃貸借契約は終了した。
(原告の主張@ 原状回復義務の範囲)
Y1は,本件火災前の劣悪な使用方法及び本件火災により汚損又は破損した201号室の設備を原状回復する義務を負っている。
被告は,国土交通省住宅局の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」(ガイドライン)の経年変化の考え方を援用して,原状回復義務の範囲を限定すべき主張する。
しかし、本件賃貸借契約では,設備等の耐用年数を考慮せず,通常損耗以外は全て原状回復する旨を明示的に合意していたから,本件にガイドラインを適用する余地はない。
201号室の設備等を本来機能していた状態に戻すため、Y1は見積書記載の原状回復工事費用143万円を支払う義務を負う。
(被告の主張@ 原状回復義務の範囲)
本件マンションは築造から46年を経過し,Y1が201号室に入居してから退去時まで19年以上住み続けており,壁のクロス,フローリング,襖,流し台といった部分については,ガイドラインにおいて想定されている経年変化の年数を経過しているのであるから,これらは賃貸人である原告らにおいて負担すべきである。
トイレ及びトイレの引き戸が破損した原因は賃貸人側による物件維持管理上の問題であり,原告の負担とすべきである。
(原告の主張A 逸失利益)
原状回復工事が完了するまでの間,新たな入居者に201号室を賃貸することができず,平成27年3月〜同年9月分の賃料等に相当する49万円の損害(逸失利益)を被った。
本件火災の発生により,201号室はいわゆる事故物件となり,原告らは,新たな入居者と賃貸借契約を締結する際,仲介会社を通じて,本件火災が発生したことを告知する義務を負うこととなった。
入居希望者に201号室に本件火災が発生した事実を告知すれば,本件火災が発生する以前の賃料等で賃貸することは不可能であり,少なくとも初回更新までの契約期間(2年間)は,賃料等を2割減額する必要がある。
これによる損害(逸失利益)は,賃料等月額7万円×0.2×24か月=33万6000円で、Y1は,合計82万6000円の損害賠償義務を負う。
(被告の主張A 逸失利益)
201号室は事故物件に当たらず,原告は告知義務を負わないから,前提を欠く。
仮に告知義務の対象となるとしても,賃料等を2割減額しなければならないとの原告主張は算定根拠を欠いて過大な請求である。
(裁判所の判断)
(争点@ 原状回復義務の範囲)
Y1が,通常使用により生じる程度を超えて201号室の設備を汚損又は破損したか否か検討する。
平成23年10月の時点で,201号室はいわゆるゴミ屋敷の状態であり,平成27年2月24日に荷物撤去作業が行われた時点でも,押入れ,床面,風呂場やキッチンに著しい量のゴミが詰め込まれていた。
Y1退去後の平成27年3月上旬時点において,トイレの台座は抜け落ち,床面のタイルが著しく破損していた。トイレの台座は,Y1の置いた荷物の重さに耐えきれず破損したものと考えられる。平成27年3月上旬時点において,キッチンは床面のフローリングが剥がされ,汚されたままとなり,キッチンとリビングとの間を仕切る引き戸はガラスが破損していた。
本件火災が発生したのは201号室のリビングであるから,以上の設備の破損は,本件火災とは関係なく,Y1による不適切な手入れ又は用法違反が原因である。
Y1は,平成27年2月4日,本件火災を発生させ,これにより,201号室天井4平方メートルが燃え,室内が広範囲にわたって煤で汚れ,室内に悪臭が充満した。火災発生時にはY1が不在であったため,消防署員が室内に入る際に玄関ドアが破壊された。
以上によれば,Y1は,本件火災前の劣悪な使用方法及び本件火災により,通常使用により生じる程度を超えて201号室の設備を汚損又は破損したと認められる。
被告は,ガイドラインの経年変化の考え方が本件にも適用されるべきで,見積書記載の工事は本来賃貸人である原告らが負担すべきものが含まれていると主張する。
しかし,Y1は,通常使用していれば賃貸物件の設備等として価値があったものを汚損又は破損したのだから,201号室の設備等が本来機能していた状態に戻す工事を行う義務がある。
被告は,Y1が手配した業者によって原状回復工事を一部行ったと主張する。しかし,Y1がCに依頼した荷物撤去処分は,そもそも201号室の設備等を本来機能していた状態に戻す工事とは関係がない。
以上から、201号室の設備等を本来機能していた状態に戻すための補修工事の費用として,@洋室,キッチン,トイレ,浴室の各ドア,トイレの台座等及び給排水設備の補修費用,Aキッチン,トイレ等の塗装,汚損した電気設備及びガス設備の補修費用,B壁紙,フローリングの補修費用,C解体撤去費用を含む諸経費が必要であり,その額は,本件見積書記載の143万円と認めるのが相当である。
(争点A 逸失利益)
Y1が善管注意義務に違反して本件火災を発生させたため,原告らは,平成27年3月から同年9月分までの賃料等(月額合計7万円×7か月分)49万円の損害を受けた。。
さらに原告は、本件火災が発生したことを新たな入居者に告知することに伴い,得られる賃料が減額されることが見込まれ,賃料減額分が逸失利益になると主張する。。
しかし,原告が新たな入居者に対して,201号室に本件火災が発生した事実を告知する義務を負うとしても,そのことによって,賃貸借契約が締結される際の賃料が従前より確実に減額されるとの根拠は薄弱である。将来の賃料の減額分を逸失利益と認めることは相当ではない。
(結論)
Y1は,143万円と49万円の合計、及びこれに対する約定の遅延損害金(年10%)の支払義務を負う。
5. 定期借家関係
(1)東京地方裁判所平成27年2月24日判決
賃貸人が、定期借家契約が期間満了したことによる明け渡しを求めたところ、賃借人は、黙示の普通借家契約が成立したと主張し、その後締結の契約も普通借家契約の更新であると主張して建物を使用し続けた。
X(賃貸人)は、Yとの間で、平成12年11月に期間3年の定期借家契約を締結し(契約@)、Xは、Yに対し、更新がなく期間満了により賃貸借が終了する書面(借地借家法38条2項)を交付した。
XとYは、紛争等がない場合は次回の契約を速やかに継続締結する。紛争等があり平和的に解決できないときは期間満了時点で契約は終了するという覚書を締結した。
平成16年5月、Xは、Yに対し、定期借家契約が期間満了で終了している。再契約では、賃料月額25万円・保証金250万円、償却20%・契約期間3年となると通知した。その後、特に交渉はされず、Yは、同年7月分以降、増額賃料25万円を払った。
平成17年5月、XはYに対し、平成15年12月から平成18年11月の間は契約は自動的に継続されている(契約A)として、平成18年11月までを期間とする賃貸借契約が締結されていることを前提とした保証金償却による保証金不足分の支払を求めた。
平成18年11月、XとYは、期間を3年の定期借家契約を締結し(契約B)、上記同様の覚書を締結した。
さらに 平成21年11月、XとYは、同様の定期借家契約を締結したうえ(契約C)、X・Y間に紛争等がない場合、Xが本件店舗を所有している場合は、次回も継続して再契約する、という覚書を締結した。
その後、XはYに対し、平成24年3月に、同年11月末日をもって本件契約を終了し本件店舗の退去を求めた。
しかし、Yは、契約は定期借家契約の要件を欠き普通借家契約であると主張し建物を使用し続けた。
覚書の内容は、定期借家契約の趣旨と異なるものの、借地借家法38条2項の要件を欠くとまではいえず、この時点ではXY間の契約(契約@)は定期借家契約と推測される。
しかし、その後、Xは、Yに対し、契約@の期間満了による終了の通知をしていること、契約の自動継続を前提とした保証金の不足分を求める通知をしていること等から、遅くとも平成16年11月頃までに、平成18年11月までの3年聞を契約期間とする借家契約が合意された(契約A)。
この契約Aは、契約書面はなく、法38条2項の書面交付もないことから、借地借家法38条の所定の要件を欠き、普通借家契約として合意されたというべきである。
普通借家契約が継続している賃主と借主との聞で、定期借家契約を合意するためには、貸主は借主に対し、普通借家契約を更新ではなく終了をさせ、定期借家契約は普通借家契約に比べ、契約更新がない点でより不利益である旨の説明をし、認識させた上で契約を締結することを要すると解される。
平成18年11月の契約Bの契約時点においては、契約Aに係る普通借家契約が継続していたから、Xの契約終了の通知のみでは契約は終了せず、正当事由があった証拠もないことから、契約Bは、普通借家契約である契約Aの更新契約として合意されたものと解される。
平成21年11月の時点で締結された契約Cにおいても、契約Bの時と同様、Xの契約終了の通知はされたが正当事由があった証拠はなく、定期建物賃貸借に使用される契約書で作成され、法38条2項書面が交付されてはいるけれども、Yに対しより不利益になること等についての説明がされた証拠はなく、さらにその際の覚書では、XY間の紛争の有無を問わず再契約をする合意である等の事情を総合すると、契約Cも普通借家契約である契約A、その更新契約である契約Bが更新されたものと解される。
したがって、契約Cは、普通建物賃貸借であるから、借地借家法26条及び28条所定の要件を満たさないXの本件店舗の明け渡し請求には理由がない。
Xの請求棄却。
(2)東京地方裁判所平成26年10月8日判決
定期借家契約に基づく明渡し請求がなされた事案。
裁判所は、次の理由で、明渡し請求を認めた。
賃貸人は、賃借人の窓口となった司法書士との間で関係書類のやりとりをした。その関係書類には本件建物に関する定期建物賃貸借契約に係る書類が含まれており、司法書士としては、定期建物賃貸借契約の意味するところを賃借人に説明する義務があったというべきである
だから、司法書士は、賃借人に定期建物賃貸借契約の意味を説明し、賃借人はこれを理解した上で承諾書に記名押印したものと推認できる。
賃貸人は、「定期建物賃貸借契約についての説明」と題する文書を司法書士に交付して書面による説明をした。その内容について説明義務を負う法律専門家である司法書士を通じてその書面を交付しているから、書面による説明としては十分であったというべきである。
第三十八条 期間の定めがある建物の賃貸借をする場合においては、公正証書による等書面によって契約をするときに限り、第三十条の規定にかかわらず、契約の更新がないこととする旨を定めることができる。この場合には、第二十九条第一項の規定を適用しない。
2 前項の規定による建物の賃貸借をしようとするときは、建物の賃貸人は、あらかじめ、建物の賃借人に対し、同項の規定による建物の賃貸借は契約の更新がなく、期間の満了により当該建物の賃貸借は終了することについて、その旨を記載した書面を交付して説明しなければならない。
3 建物の賃貸人が前項の規定による説明をしなかったときは、契約の更新がないこととする旨の定めは、無効とする。
4 第一項の規定による建物の賃貸借において、期間が一年以上である場合には、建物の賃貸人は、期間の満了の一年前から六月前までの間(以下この項において「通知期間」という。)に建物の賃借人に対し期間の満了により建物の賃貸借が終了する旨の通知をしなければ、その終了を建物の賃借人に対抗することができない。ただし、建物の賃貸人が通知期間の経過後建物の賃借人に対しその旨の通知をした場合においては、その通知の日から六月を経過した後は、この限りでない。
(以下略)
※ 借地借家法38条2項の書面は、契約書とは別の書面で交付されなければならい(最高裁平成24年9月13日判決・別紙スライド参照)。
以 上
